視察目的
有珠山噴火被害者に対する支援を検討する上で必要な、現地状況の確認、情報収集、関連団体との連携、活動拠点予定地の確認等の調査を行い、
今後予想される支援活動の基盤作りに役立てる。
5月の3日に仙台新港を出発しました。
各報道関係が集まり宮城TVで放送されたそうですが・・・ 勿論我々は見てません。
誰かVTR撮ってる? 見せてー!
酒&鬼氏が 秋田の地酒二升も預けてよこしたお陰で フェリー乗船中に何とか一升空けました。
同行した、赤塚助教授はあまり飲まないのよ、だから3人で飲んだ結果。
レッコメはなじぇーか二日酔い、でも苫小牧−伊達市間は寒かった! 二日酔いもすぐ醒めるー!
4日の午後1:30には伊達市役所敷地内の伊達体育館にとうちゃーく!
ここでは伊達市の社会福祉協議会(現地ボラセンの母体?)が、今回の外部ボランティア受け入れの機関として「伊達ボランティア・サポートセンター」
が設置されてます。
今回は、この「伊達ボランティア・サポートセンター」の副所長の山口氏のお計らいもあって現地入り出来ました。
後に、この山口氏がかなりの経験をお持ちの御仁で、この方に会えたことが今回のかなりの収穫でした。
参加するボランティアは、ここで受け付けを行います。(何故かレッコメは、地元ボランティアのグループ参加なので、4・5日は登録してませんでした)
赤塚・村尾・佐竹は、この日に登録をすませています。
レッコメ@清野は、すでに「有珠山災害ML=有珠山NET」のうすこいプロジェクトチームに登録されていたために、4・5日は同行メンバーとは、
別行動となって しまいました。
実は、伊達市内で少々迷ったのですが、「千葉RB」所属で今回の「伊達V・サポートセンター」にコーディネーターとして活動されている 安藤氏
(本業は千葉市の市会議員)に偶然でくわし、案内していただきました。
この安藤氏によると、「有珠山NET」と「伊達V・サポートセンター」は、別組織である。との説明を受け氏はその担当(今回のうすこいに関して)
と言うことでした。 その時は、「何故、別なのか・・・?」疑問でしたが、何はともあれ、レッコメは、既に5日の避難所での作業割り当てが決まって
いましたので、取りあえずそちらを優先した次第です。
まさか、事前に参加表明したんだから当然ですが。
で、案内されたのが「有珠山NET」の事務所、これがなんと同じ体育館のお隣の部屋。
ますます なんでー??? っと 混乱するばかり。
で、着いたとたんに挨拶もそこそこ、レッコメは自分で持ち込んだ宮城のこども達の鯉のぼりの絵を(宮城VCが募集してくれた)WeB載せる作業に速攻
入ってしまいます。
実は、4月の末日に締め切っていたのですが・・・こどもの気持ちは裏切れない!
これが、ちょーハード! 何とか翌日の準備等も含め作業が終わったのが5日のAM2:00頃かな?
途中で、同行メンバーが気になり(自分の行動を報告したかったため)が、しかし他のメンバーはサポートセンター別館なる宿泊施設(お寺さんのようです)
へ移動しており一切連絡がつかない状態! 仕方がないので翌朝とした。
さて、清野は伊達の体育館の控え室、つまりここが「有珠山NET」の事務所で、母体となっているのが西胆振(にしいぶり)地区のボーイスカウトメンバー
で主催者の冨田きよむ氏である。
勿論、今回の噴火災害の被災者で、なんとこの事務所に一ヶ月も寝泊まりしていた(現在は避難解除地区)
メンバーは、ここを有珠マフィアの巣窟 と呼んでいる。 その一角によく自衛隊が使うような簡易ベット(これがけっこう寝心地が良い)を使って眠った。
5日の朝、何故か7:00過ぎには何かの物音で起こされた。 持参のPCをネットワークに繋いでおもむろに起動する・・・立ち上がらない・・・なんでー???
昨日まで快調だったのにー! これじゃ避難所持って行っても使えねーじゃん! だからM$はきらいじゃー!
なんだかんだと、いじっているうちに何とか回復、どうもイーサ用のカードと携帯通信用カードが喧嘩してたようで、引っこ抜いたら復活した。
で、自分のメールアカウントを確認! なんと80件! 発信元にいるのに不思議な気分!
8:30頃ロビーに出てみたら、村尾さんや佐竹っちを発見! 一瞬 ほっ!
隣に、山口さんと旭さんもいらっしゃいました。
ここでお二人をご紹介いたします。
山口氏は、「災害救援ネットワーク北海道」の代表でこの団体には、バイク隊は勿論のこと、スノーモービル・ジェットスキー隊まであるそうで、
当の山口氏もバイク 隊の隊長であり、かなり精力的な活動をなさっているようです。
また、旭氏は、「島原ボランティア協議会」の理事で、この方も噴火災害についてはすごい知識です。
このお二人は、阪神淡路大震災も富山の重油流出にも参加されていて、全国的な災害活動グループを紹介してくれました。
・全国災害救援ネットワーク
・震災がつなぐネットワーク
のふたつですが、これは近い将来ひとつの団体になる予定だと旭氏がおっしゃられていました。
この二つは、災害等が発生するとほとんど簡抜入れずに現地入りするスタッフがいるらしく、速報がFAXで各登録団体に流れる体制がとられているようです。
また、山口氏によりますと「必要なら連絡をくれれば情報はいつでも流せます」と、言っていただけました。
今回は、こういった人のつながりを持てたことが、我々としておおきな財産だと実感した次第です。
「宮城ボラセン」もぜひとも上記の団体に加盟することを希望します。
さて、本題のもどって清野は自分の状況を報告しマフィアの巣窟に戻りさて出陣前の 冨田隊長からの一言
「虻田のR37のコンビニ(セイコーマート)は、開店している。 長万部・豊浦方面に行くメンバーはそこで昼飯を買うように。」
地元の復興を願うなら、経済的にも少しでも協力しろと言う意味。
「そして、噴火の様子をその目に焼き付けて行け」
「避難所に行ったら、子供に絵を描いてくれとは言うな! その必要は無い! もしPCの前で興味を持っていそうなら、まずうすこいのhomepageをみせて
書いてみるかい! の一言でいい」
5日九時
っと、激を一発頂き、いざ出陣。 画用紙・クレヨン・PC 一式持って 清野は栗山氏と共に 長万部陣屋生活館へいざ出撃!
R37を南西に下り、虻田町へ そして、そこでみたものは・・・ 五月の晴れ渡る大空に舞い上がる。「噴煙」だった。
この日は風も無く、雲一つない快晴であり(後に聞いたが、噴煙は上空1000mにも達していた)西側の噴火がはっきりと確認できた。
まさに天に昇る勢い!
冨田隊長にいわれたとうりに虻田びセイコーマートで昼飯を調達した時そこの駐車場から見た風景がそんなでした。
この噴煙が収まらないかぎり、洞爺湖温泉と虻田の危険区域には近づけず、そこに生活があった人々は今も遠く避難所からあの山を心憎く眺めているのだ
・・・そう考えると切なくなりました。
さて、気を取り直しR37を下りはじめた・・・ がしかし 豊浦に入っても一向にI・Cが見つからない。
なんでだ?? その内トンネルをぬけたら、なんと長万部! 「どうする! このまま行くかー」
栗山氏曰く 「いんじゃないすか、時間はあるし」 とうに時計は10:00を回っていたが・・・・。
さんざん遅れて、陣屋生活館に到着! そこでまっていたものは・・・ なんと ちょーめんこいー!「道警はまなす隊」のお姉さん(もちろん婦人警官)だった。
はまなす隊の婦警さんに案内されて、避難所に張り付いている虻田町の職員にあいさつをして、「うすこい」の作業内容を説明し配置についた。
天気が良かったせいもあってか子供たちは元気に外で遊んでいた。
中に喫煙所があってそこにいたおばあさんとしばしの談笑、「あんちゃんどっから来たの」
「仙台がらです。」などと他愛のない話で、ここは子供が4.5人しか居ないよなんてことになった。
こどもが少ない(避難所としては小規模)のでは、今日は鯉のぼり書いてもらえないかなー?
などと少々がっかりしつつも、少々暇を持て余したので、外にあるベンチでまた一服。
そのうち、避難所の前で遊んでいたこどもたちのところへ、子犬を連れて近所のおじいさんがやって来た。
やはり、動物とこどもにはかなわない。
中にいた、おじさんおばさんや道警のはまなす隊のお姉さんも外に出てきてなかなかほのぼのとした時間が過ぎた。
PCの前に戻ると小学校低学年くらいの女の子がゲームをしていた、そこですでにホームページにUPしてある全国のこどもが書いた鯉のぼりを見せたところ、
「書いてみる?」なんて聞いてみた。
いそいそと画用紙とクレヨンを取り出して見せると、「12色しかなーい!」などと言われる始末!「やれピンクが無い」だの「灰色がない」だのしまいにゃ
我々パソコンお助け隊が持参した筆記用具の総出動となった次第。
そうこうしているうちにお昼の給食が配達されてきた。
我々も少しお手伝い、内容はパンと牛乳とヨーグルト。
このときは何も気が付かなかった・・・
こどもたちが「お昼だからまたあとでー」と言って居住スペースに戻ってしまった、
我々もここで昼食を取ることにした。
清野は天気がいいので、入り口前のベンチに座りピクニック気分と決め込もうと思っていたが、そこへ子供達がきて「お昼の交換しよう!」と声を掛けてきた。
「いいよー、なにど交換すんのやー。」「オラのは鮭とツナマヨだぞー」
子供達は、配給されるパンをくれた。(何故か同じあんパンだった)
陽気に照らされ、パンをかじっていたところ、犬の散歩から帰ってきた被災所のおじいさんが、清野を見て一言 「もうパンは見たくない」 ガーン!!!
成る程! 子供が以外にうれしそうだったのはそう言う事だったのか!
思えば、もう一ヶ月も避難生活が続いている訳でお昼もこのパンを食い続けてる事になる。いやいや、まいった。
PM1:00も回ったところで、絵を描いてくれた子供達がなかなか来ない。
そこで、うすこい本部にTELしたところ、子供の同意を取って早くUPしろとのこと。長万部こども捜索班になってしまった。
長万部には、避難所がここ陣屋生活館のほか大きな体育館規模が他に3カ所とある。
そこで、急遽そちらに行ってみたが子供達は見あたらない、おまけに老人福祉センターのメンバーが、画像が送れず七転八倒していた。
少々のお助けをして、道路向かいにある文化センターにいってみた。
そこは、図書館が併設され丁度STV(北海道地元放送局)の公開録音を行っていた。
図書館内の視聴覚コーナーを覗くと・・・いた!
取り急ぎ「ホームページに載せて良い?」と確認し、近くに待機中のOPA(長万部パソコン愛好会)の事務所に清野が持参したPCを持ち込んだ。
無事画像が上がり。取りあえず本日の作業は終了。
伊達に戻ることにした。
13:00 道央自動車道長万部ICは入り口もすぐ解りすんなり入った。
ここで、運転しているレンタカーのダッシュボードパネルにいやにハイカラなCDチェンジャーに気が付いた。
「なんだ? これ?…」 うぃーーん! 「おおー!… カーナビじゃーねーか」 あとで、USUZAN−NETの冨田隊長に聞いたら、
「カーナビ? ここらじゃあたりまえだー!」
うっ! もっと早く知ってれば豊浦ICの入り口があーーー! ホントにおばかな俺達!
さて、豊浦ICの降り口で高速終了。豊浦−伊達間は有珠山トンネルに亀裂が入り通行禁止になっている。
ものものしく除雪車が2台横付けで入り口を塞いでいた。
途中豊浦町の高岡避難所に寄ってみたが、既にうすこいスタッフは本部に帰ったあとだったため、我々も後に続いた。
R37は、かなりの渋滞(夜間18:00〜朝8:00まで通行止め)結局時間がかかってしまう。 現在は、雨が降らなければ夜間も通れるようですが、
この時はまだ規制されてました。この、規制のせいなのか観光バスが一台も見えなかった! 観光地なのに・・・
後で聞いたが、洞爺湖を周り昭和新山の脇を通れば迂回出来たそうだ。
事務所(usuzan-net巣窟本部)に戻り、本日の報告。
しかし、事務所は何か朝とは違った物々しい雰囲気! 実はこの数日後に「FMレイクトピア」なる災害コミュニティFMが虻田町内のなんと避難所内に
設立されることとなっており、そのHP作りの作業が始まっていたのだった。
「はいはい、帰って来た人は、さっさと隊長に機嫌を取りに、ファーマーズ・バスケットに行って」と、web班の あらじゅんさんから人払いの一声!
この人は、仕事も出来るし相当な人です。
この日は、冨田氏のお宅で打ち上げが予定されていたためそちらに移動となった。
冨田隊長のお宅は、本業のバラのドライフラワー工房(教室)が敷地内に立ち並び、封鎖されている道央自動車道の陸橋の下、有珠山の東側に当たります。
一台も通らない高速って何故か不気味ー! 楽しいガーデンパーティーが終わろうとした頃、冨田隊長から一言「今日はご苦労、でみんなに相談したい事がある」
うっ 何か真剣な話だぞ・・・
教室の中にみんなで集まり、そこでこんな話がはじまった。
以下要約
usuzan−netは、もともと、冨田氏が避難勧告を受けて避難所生活を始めた時、公共のHPの情報不足に業を煮やして始めたもので、そこにネットを
通じて多くの仲間がこうして集まった。
しかし、自然発生的に出来上がった集団であり既定の組織集団では無い。しかし、公的ボランティア組織(伊達ボランティアセンター)や、企業からの資金協力等
の申し入れも有るが、団体としての受け皿のない現時点では、銀行口座も作れず企業等からは振込先が無いために受け取れないのが現実である・・・
等々、色々とdeepなお話が交わされた。
その光景を目の当たりにして、我が「宮城RB」の村尾代表と伊藤事務局長も大変な苦労をして組織作りをしてきたのか・・・ 感慨深く感じたのであった!
冨田隊長曰く「何処でも同じだ、いつかはやらなきゃないんだ!」 かっ! かっこいいじゃねえか! このおやじ!
ここ、北の大地伊達にもかっこいい大人を見付けました。
さて、なんやかんやと有りまして、伊達市体育館に有るusuzan−netの巣窟に帰ったところ、後藤さん(根室の教育委員会の職員)の車に便乗させて
もらってお風呂ー!
風呂上がりに、後藤さん曰く 「いやー! これ(うすこいプロジェクト)が始まって以来こんなにのんびりしたの久しぶりだなー」 しみじみ・・・。
そうか! 地元のメンバーは毎日が活動なのだ、自分達はこれが終わってしまうとまた、何事もないような日常に戻れるけれど、被災地では家に帰れず不安な毎日
がまだ続いているのだ。
こうして、五月五日のこどもの日が過ぎて行った、清野のusuzan-netのうすこい現地活動終了した。
6日からは、「宮城災害救援VC」から来た仲間達と合流し、「伊達ボランティアサポート・センター」に登録となる。
そう思って巣窟と呼ばれた事務所も何か離れがたかった清野なのでした。
夜が明けて5月の6日、眠いーと思いながら、巣窟で明けた最後の朝! まあ行ってみっかっと重い腰を上げ、となりのサポートセンターへ・・・
宮城から同行したうちのメンバー(宮城VC)を探してロビーへ・・・
居たいた、「どうでしたそちらは?」 同行した村尾代表に聞くと、「こどもフェスティバルのイベント班に入って、カルチャーセンターで活動していた」
成る程! 「清野さんはどう?」「usuzan-netで、長万部行って来ました、鯉のぼり二枚ほど、アップしました」等と報告しあい。
さて、朝のミーティングへ
サポートセンターでは、朝8:30〜朝食 その後9:00〜ミーティング
この朝のミーティングでコーディネーターからその日の作業分担と連絡事項が伝えられる。
この日4人は、伊達のカルチャーセンターに張り付く事になった・・・実は現在 usuzan-netの事務所もこちらに移転している、うーん冨田隊長元気かなー?
まそうそう元気を無くすような柔なおやじではないが。
この、伊達市カルチャー・センターは仙台で言えば青年文化センター の様な施設でまあ大きなアリーナが中央に有り小ホールも有ってけっこう大きな施設で、
規模は仙台市体育館程度(だと思う?) アリーナ・各部屋及び二階も合わせると2・3百世帯は居るだろうと言う規模でこれだけの人が集まっているとまあ
色々と問題も起きるようで・・・
実は、我々が張り付いた当日も給食の配膳について色々とあって、それまで配膳のお手伝いを行っていたボランティアが、その日を持って手を引く事になって
しまった。
やはり、小規模な避難所と大規模な避難所では、色々とトラブルの質も異なって来るようだ。
お陰で、特に何もする事が無くなってしまった我々は、手持ちぶさたでぶらぶらしていただけになってしまった。
オラは、タンポポクラブ(虻田町の保母さんが避難所内で行っている保育施設)のお散歩のお供や、地元のおじさん、おばあちゃんのお話相手で終止致しました。
それはそれでなかなか面白かったんですが。
それにしても、タンポポクラブのガキンチョ達は、ホント元気が良くて公園内の小川にぼちゃぼちゃ落ちるんだなこれが!でも、子供はこれくらいじゃなきゃね!
カルチャーセンターは、公園が隣接してて丁度その公園から有珠山の東側がよく見えます。
そこから見るととても危険な山には見えないのですが・・・
洞爺湖温泉から避難してきたおばあさんが言ってました。「前の時(前回の噴火)は3回、今回は5回避難所を移ったんだけど、やっぱり山の見えるとこがいいよ」
「早く温泉に帰りたいの、私は・・・」
どんなに噴火が起きても彼らはやはりこの土地で生きる事を選ぶようです。
この土地を愛しているのです。そして噴火は必ず起きる事も知っているのです。
また他にも色々あったんだけど、いつまで遅れると何だし(つってももう1ヶ月)
未だに、二千人の方が自宅に帰れず避難中です。 まだ終わってないんだよ!
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虻田コンビニ前2 | 虻田町コンビニ前噴火の様子 |
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| 虻田町コンビニ前噴火の様子2 | 長万部陣屋生活館(避難所)前 | 長万部陣屋生活館前2 |
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| 長万部陣屋生活館前3 | 陣屋のまさこちゃんのこいのぼり | 伊達市サポートセンター5月4日 |
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| 伊達市サポートセンター5月4日8時30 | 伊達市サポートセンター5月4日夕食 | 伊達市サポートセンター5月4日夕食2 |